hotcoffeeSのブログ

地方大学生のありのまま日記

「承認欲求」の呪縛

目的

前田さんの「メモの魔力」の巻末、自己分析1000をやってみた。その中で、幼少期から「褒められたい」や「すごいと思われたい」といった感情があることが分かった。行動の指針はこの感情が得られるかどうかで選択していたと思う。それでは、友人がよく私に言うように、「他人の人生を歩んでいる」ことになると感じた。本当に自分がやりたいことをやるには、また、周りの目を気にしないで生きるにはどうしたら良いものか....。うまく承認欲求と付き合って生きて行く方法を知りたい。

 

承認欲求とは?

承認欲求とは他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという欲求であり、尊敬・自尊の欲求とも呼ばれる。 人間の意欲の源泉として、また行動や成長の原動力としての役割がある。

承認欲求には、光と影がある。まず光の部分について一部抜粋して3つみていこう。

①内発的モチベーションの向上

誰だって褒められたり、認めてもらえると嬉しくなりますよね!自分のやっていることが肯定されると主体的に動いてみたくなるものです。

②自己効力感の向上

自己効力感とは「やればできる」という自信です。日本人は他国と比べ自分の能力に自信が持てないし自分を認めることもできません。自己効力感をもたらす最大の要因は成功体験です。自分自身ではすごいと思っていないことも、他人からフィードバックを得られれば値打ちが実感でき「やればできる」という自信が持て、新たな意欲となります。承認は鏡のようなものです。

③離職の抑制

退職理由の上位に「ほめ言葉や、感謝が足りない」があがっている。ある幼稚園では20歳そこそこの女性らがモンスターペアレンツの矢面に立たされていた。そこで「あなたたちのやっていることは正しいのだから、自信を持ってくださいな」や「こんなに厳しい言葉をかけられても頑張ってくれてありがとう」と声をかけた。すると毎年二桁の教員が辞めていたが、その年、離職者が0になったというのだから驚きである。思い返してみると部活を辞めて行く人たちに私は感謝を伝えていなかったかもしれない。

 

いかがだろうか。承認されることは、嬉しいし、自信をもてるし、意欲的になれるし、安心するのである。

逆に、人はいかに多くのものを地上で所有しても、いかに健康や生活の安定を得ても、他人から尊敬されないかぎり、満足しない。というパスカルの有名な言葉もあります。

他人の喜びは自分の喜び、という利他的な感情だって承認と無関係ではありません。感謝という承認を求めているのだから。

こう考えてみると、全ての行動が承認を求めてるって思えてきます私。現に、読んだ本アウトプットして身に付けようとして書いてるこのブログも、実は、自分の文章読んでもらって「いいね!」「役に立った!ありがとう!」と言われたいだけだったりするのかもしれません....。お恥ずかしい。承認って切っても切り離せませんね、、、 

 

次に影の部分を見ていこうと思います。

皆さんも、受験や大会で周囲に期待されたことはあるだろう。自分が気づいていないところでも期待されている。期待の量は数えられないが、本人が認知している期待を「認知された期待」と呼ぶ。

模擬テストなどの結果で志望校の合格ラインより少し下の子の方が、少し上の子より明らかに合格率が高いそうです。実力的には大差ないにも関わらず、少し上の子は、「落ちてはいけない」という守りの気持ちに入るが、少し下の子は「ダメでもともと、一丁やってやろう」という攻めの気持ちで臨めるからなんだそう。大人からの期待による、子供達へのプレッシャーって大きいですよね汗

この期待を下げるため、人間は「セルフハンディキャッピング」という自己防衛をとる。

例えば、試合前に体のどこかを痛めたとか、大事なプレゼンをしなければいけない前日に大酒を飲み二日酔いでやってくる人。いずれも期待しないでというメッセージに取れないだろうか?そうすることで失敗した際の自己評価低下を予防する。

DVを受けても耐え続けてしまうのは、別れたらパートナーからの承認を手放すことを意味し、自我へのダメージが大きいだからだそうだ。

 

『承認欲求の呪縛の強さ』

(認知された期待-自己効力感)×問題の重要性=プレッシャー

 (問題の重要性:それが遊びなのか仕事なのかを考えてもらえばわかるだろう)

すなわち大きな期待に答えられる自信がないときプレッシャーは大きくなる。

この式から私は、勧誘の際「これやってみて!あれだってできたから大丈夫!結構難しいと思うから、失敗して元々の気持ちでやってみて!」という言葉がプレッシャーを感じさせない勧誘の言葉だと思います。

暴力やパワハラも承認の欠如らしい。指導者は選手の活躍、尊敬や感謝により、承認欲求を満たしている。成果が上がらない、尊敬や感謝をもらえないと短期的な成果や承認を求めて、権力を誇示したり、服従を強制してしまう。内面的にはむしろ指導者がコントロールされているように見える。感謝って大事だね。厳格な上下関係を生まないためには、感謝と言われたことで評価を下げないことが大切だと思った。

 

認知された期待を下げるためには?

①ある頑張った従業員に高額の賞金をあげた。

従「これからももっと頑張ります!」

天の声「いや違うよ。君の過去の貢献に感謝したいだけだ。将来の貢献を期待して表彰したのではない。またこの賞が欲しいから頑張るというのなら君の自由だけどね」

この言葉がなかったら、この従業員は将来結果が出せなかったときに大きなプレッシャーを感じて、追い込まれていたに違いありませんね。

②自分の弱みを見せる。自分がプレッシャーと戦っていると白鵬がマスコミに正直に語った。白鵬も人間だ、とわかってもらえた。自己開示が期待の重荷を下ろした。

 

まとめ

承認は本来、その人の個性や努力、業績などを褒め称えるもの。認められるためにやらなければいけないは本末転倒。

 

感想

初めてのブログで、趣旨がずれたり、首尾一貫していないことに気付きながらも最後まで書いてみた。伝えたいことはほとんど伝えられなかった。骨組み考えてから書こう。

 

人間は承認欲求の塊で、承認があるからこそ楽しいし、安心するし、意欲的になれる。

承認を得るために、得やすい道をゆくのではなく、やりたい道を行った先に承認されれば自分の人生歩めそう。フィードバックをこれ以上でもこれ以下でもなくしてくれる周りを大切に。